大判例

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広島家庭裁判所竹原支部 昭和32年(家イ)20号 審判 1958年7月15日

申立人 中田春子(仮名)

相手方 篠田富子(仮名) 外五名

主文

本件申立は、これを却下する。

理由

本件申立の趣旨は、申立人と相手方間に成立した別紙目録記載の物件に対する当庁昭和三三年家(イ)第一一号遺産分割調停再調停を求めるといい、その原因として申立人は最後の住所広島県○○郡○○町○○○○番地亡篠田市郎の遺妻であつて、被相続人市郎の遺産分割の必要に迫られ相続人間でその協議をしたけれども、協議が調わないので昭和三三年三月二四日広島家庭裁判所竹原支部に遺産分割の審判を申立、同庁は職権でこれを調停手続に附し同年五月一日同庁調停委員会の席で調停が成立したので、これに基き広島法務局○○出張所に別紙目録記載の相続不動産を申立人の単独所有とする登記の申請をしたところ同出張所では、右遺産分割調停事件の相手方として分割調停に参加している篠田利男、田村昭二両名には亡篠田市郎の相続権がなく、相続権のない者が参加した遺産分割調停は不相当であるとして登記申請を受理しないので事実上登記は不能であるし、一方調停成立当時に比し別紙目録記載の不動産の価格も下落しているので更に適当な再調停を求めるというのである。

そこで審査するに当庁昭和三三年(家)第四七号遺産分割審判申立事件及び同三三年家(イ)第一一号遺産分割調停事件の記録によれば、申立人が最後の住所広島県○○郡○○町○○○○番地被相続人篠田市郎の遺妻として昭和三三年三月二四日被相続人の長女篠田富子、同三女篠田淑子、長男中田徹夫、長女中田ユキ枝を相手どり当庁に遺産分割の審判を申立当庁は同年三月二八日この事件を職権で調停に付した。その調停手続において当裁判所は、被相続人の長女篠田富子のための婿養子田村(篠田)政二は、被相続人の死亡した昭和二九年○月○○日前である昭和二八年○月○日被相続人とは離縁を、富子とは離婚をしているけれども、婿養子縁組後離縁及び離婚前に政二と富子との間には長男田村昭二、二男篠田利男が出生しており、この両名は婿養子政二の離縁により同人を代襲して被相続人を相続しているものとし、この両名を調停手続に参加させて別紙調停調書写の通り調停が成立したことは明かである。

申立人は広島法務局○○出張所がこの調停調書に基き別紙目録記載の不動産を申立人の単独所有とする登記申請を受理しないことを主たる理由として本件再調停の申立をしたのであるけれども、当裁判所は広島法務局○○出張所は田村昭二、篠田利男が相続権を有せず、これを参与させた遺産分割調停は不相当であるという理由で調停を原因とする申立人単独所有の登記申請を拒否することはできないものと判断する。その理由は、

第一、田村昭二、篠田利男は篠田市郎の相続人である。民法八八八条は前条の規定によつて相続人となるべきものが相続の開始前に死亡し又はその相続権を失つた場合において、その者に直系卑属があるときは、その直系卑属は前条の規定に従つて、その者と同順位で相続人となると規定しておる。この条文で相続権を失つた場合と書いてあるのでその解釈が多少問題になるのであるが、死亡が相続権を失つた場合に当ることは、法文が例示しているから問題はない。その外に相続人の廃除、法定事由による相続人資格の欠格がこれに当るということは多くの学者が例示し殆ど異説を見ないところである。養子も縁組が継続している間に養親が死亡すれば準血族として養親を相続すべきものであることは何等の疑問もないけれども養子が養親の生前に離縁をしてしまえば民法七二九条によつて養親との間の準血族関係が終了するから相続ができなくなり相続権を失うことになるのである。

この離縁による養子であつたものの相続権の喪失が八八八条にいわゆる相続権を失つた場合に含まれるのか含まれないのかが本件の問題なのである。当裁判所は含まれると考えるし法務局○○出張所は含まれないとすると申立人はいうのである。

法文は相続権を失つた場合と概括的に規定しておるのであるから文理の上からは離縁による相続権喪失を除外する理由は毫もない。それでは特に離縁になつた養子の子に代襲相続を許したのでは、正義や条理の上から何等かの不都合があるかといえば、それも見出すことができない。被相続人に不都合を働いて相続資格を失つたり、被相続人を虐待して相続人排除の裁判を受けた者の子でさえ代襲相続権があるのに、離縁により相続権を失つた者の子だけは代襲相続権がないとするなれば、それが却つておかしいのであつてこれを代襲相続から除外する理由はどこからも生れて来ないように思われる。

もつとも養子の子には三通りの種類を想定することができる。

それは

A、養子縁組前から生れていた養子の子、いわゆる養子の連れ子

B、養親と準血族関係にある養子の子、すなわち養子縁組の後夫婦養子又は養子と他男との間に生れ若くは養子と他女との間に生れ養子が認知した子

C、養親と自然血族関係にある養子の子、すなわち旧法の婿養子のように養子の配偶者が養親の実子である場合に養子夫婦の間に生れた子

がそれである。本来相続ということは、近親――血族という効果に付与えられる恩典であるという基本理念を代襲相続の場合にも貫くとすれば代襲相続人は被相続人の直系卑属たることを要することとなり、右Aの場合は初めから養親と養子の子との間に直系血族関係がないし、Bの場合は養親と養子の子に準血族関係がありとされるが、養子の離縁があれば民法第七二九条により養子の子と養親との間の準血族関係も終了するのでこの二つの場合は養子の子に代襲相続権がないと解されている。(昭和一九年六月二二日大判集二三巻三七一頁、昭和七年五月一一日大判集一一巻一〇六二頁、我妻立石親族法、相続法コンメンタール三八五頁もこのBの場合の養子離縁を指すものと思う)しかし右Cの場合すなわち本件田村昭二、篠田利男と同様の関係にある場合はたとえ養親と養子との離縁があつても養子の子である両名は母を通じて被相続人との間に自然血族としての直系血族関係があり、この関係は父たる養子の離縁によつて左右することのできない関係であるから直系卑属という意味においては代襲相続人たるに欠けるところはないのである。この代襲相続人が被相続人の直系卑属たるを要するとする大審院判例に対して近時有力な学者が批判的態度をとりかえつて代襲相続人であるがためには被代襲者の相続人であれば足り被相続人との血族関係の存否に係わるべきではないとする傾向の強いものがある。(註釈相続法(上)六〇頁以下〔青山〕我妻立石親族法、相続法コンメンタール三八五頁以下)このように代襲相続人であるためには、被相続人の直系卑属であることを要するか否かについては、大審院判例に対立する学説があるけれども、このことと民法八八八条にいわゆる相続権を失つた場合の中に離縁に因つて養子が相続権を失つた場合を包含するか否かの問題とは論原を異にする別問題であつて、彼此混淆してはならない。

本来相続人たるべきものの子に代襲相続権が認められた理由が「自己の直系尊属に何等の事故がないならば相続が為され自己も亦当然それを受継く期待を有する直系卑属を保護しようとする公平の原則に基くものである」とするなれば(中川善之助責任編集註釈相続法上五五頁)本件のような養子の子は、自己の直系尊属である養子の相続について当然これを受継くべき期待を有する卑属であるから法律上の保護を受け当然父を代襲して相続する理由があることになる。もつとも本件のように家女と婚姻をした養子の子が養子離縁の後家女の父母の死亡により代襲相続をするものとすれば家女の相続と代襲相続とが併立し養子の子は将来家女(母)の相続することにより二重の利益を受ける結果になり他の相続人の場合と権衡を失するように思われるけれども、これは法律上の地位の兼有から生ずる当然の結果で止むを得ないところである。例えば被相続人が孫を養子とした場合にその孫は被相続人の養子としての相続権を有し父又は母の相続権又は代襲相続権も兼有するのと同じである。故に大審院は夙に養子の離縁は法文にいわゆる相続人が相続権を失つた場合に相当し養子の子は代襲相続をするものであることに何等の疑問を持たなかつた(大正一三年(オ)第二二九号同年四月二九日大審院第一民事部判決民集三巻一五六頁、昭和六年(オ)第六七五一号同七年一二月二二日大審院第一民事部判決民集一一巻二五一九頁)学者も養子の離縁が代襲相続にいわゆる相続権を失つた場合に包含するという趣旨の右判例に対し反対の議論を立てるものは見当らないようである。只養子の離縁は養子の子と被相続人との血族関係を終了させるから養子の子の代襲相続を認めることはできないという論のあること、その論は上述Bの場合のみに着目した議論でありCの場合には妥当しないものであること等は上に叙べた通りである。昭和六年四月一四日民事甲第五七〇号民事局長通達が民法七二九条と旧民法第七三〇条を参考条文として掲げているところから考えると矢張り離縁は養子の子と養親との間の血族関係を終了させ養子の子は養親の直系卑属でなくなるから代襲相続は生じないとする学者の議論とその論拠を同じうするものではなかろうか。そうだとすると養子の子が養親と自然血族関係に在る本件の場合には適用されないことになるのではなかろうか。この通達が

離縁の場合は同法第八八八条にいわゆる「その相続権を失つた場合」には該当しないものと解すべきであるといいつつ民法第七二九条と旧民法第七三〇条を参照しているのは、おかしいのであつてこれは養子の離縁が相続権を失つた場合に包含するかどうかの問題と、代襲相続人は被相続人の直系卑属たるを要するかどうかの問題とを混淆して結論を出したためにこのような矛盾に陥つたのではなかろうか。

何故なら民法七二九条と旧民法七三〇条は、家と家族の関係を修正した以外に何等基本理念を異にしているものではないし養子の離縁が代襲相続の場合の相続権を失つた場合に包含するか否かを決定する意義は毫もこれを有きないからである。

いま旧民法七三〇条を見るに

第一項は離縁によつて養親及びその血族と養子との間の準血族関係が終了することを定め

第二項は離縁のない場合でも養親が養子の属する家を去つたとき、すなわち養子の属する家の家族でなくなつたときは、もはや養親及びその実方の血族と養子との準血族関係を認める理由が存しないとしてその趣旨を定め

第三項は離縁の場合養子の配偶者や直系卑属が養子と共に養家の家籍を去つたときは、その家籍を去つた者と養親及びその血族との親族関係は終了するが離縁があつても養家の家籍に残つている者と養親及びその血族との親族関係は依然として存続する旨を定めている。

新民法では家の制度を廃し家族の観念がなくなつたのであるから、旧民法第七三〇条第二項のような場合を生ずる余地はないし、同第三項のような場合でも戸籍の如何によつて法律効果を区別する理由がなく、養子の離縁があれば養子の配偶者やその直系卑属と養親及びその血族間の親族関係は総て終了させるのを相当とし、旧法第一項第三項を総括して第七二九条が生れたもので家の観念を除く以外の基本理念においては旧法と趣を異にするものではない。従つて旧法七三〇条、九七四条、九九五条の下で離縁は代襲相続の場合にいわゆる相続権を失つた場合に該当するとする大審院の判例が新法七二九条、八八八条の下では解釈を異にしなければならぬという理論は生れないように思われる。

以上が田村昭二、篠田利男が篠田市郎の代襲相続人であるとする理由である。

第二、養子田村政二の子である田村昭二、篠田利男が代襲相続人であるか否かを最終的に決定するものは裁判である。従つてその判断は登記官吏の形式的審査権の範囲に属せず登記官吏は代襲相続人でないものが調停に参加した調停であるという理由で調停に基く登記の申請を拒否すべきものではない。

調停は確定判決と同一の効力を有し既判力と執行力を有するものである。調停調書に基く登記の申請が形式上違法である場合即ち手続上の違法が存する場合は登記官吏は形式的審査権に基いて調停調書の執行を拒否することができるであろうけれども、本件のように養子の子に代襲相続権があるかないか、ありとして養子の子を参加させた調停が有効であるか無効であるか、というようなことは実質上の権利関係で裁判所の判断を待つて確定する問題であつて、登記官吏の形式的審査権が及ばないものであることは殆ど疑問の余地のないところであろうと思う。裁判所が代襲相続権ありとして養子の子を参加させた停又は裁判をしても登記官吏の判断でその参加を違法なりとして調停の趣旨に従う登記を拒絶し得るものとすれば裁判の制度は根本から覆えされることになろう。

調停の有効無効は利害関係人が別に訴訟で争うことができるのであつて、その訴訟の結果で登記の抹消変更もなし得るのである。本件の申立人で相続不動産の単独所有者となつた中田春子は被相続人の遺妻であつて相続人であることは形式的にも明白である。調停に一部の相続人が除外されてできた調書であれば格別、相続人全部が調停に参与してできた調停である以上仮にその遺産分割調停に相続人以外の者が参与していたとしてもそれだけで遺産分割調停が違法になつたり無効になつたりするものではない。例えば相続人全員が遺産分割の調停事件で被相続人の内妻の子を参加させ相続財産の一部を内妻の子に贈与し残余を相続人間に分割する調停を成立させたからといつてその調停が無効になるものではない。登記官吏が登記申請を受理するに当つては形式的審査に止め調停内容の有効無効まで立入るべきものではないと考える。これが本件申立を却下する第二の理由である。

なお申立人は物件の価額の低下を再調停申立の理由にしているけれども本件調停の成立は本年五月一日であり本件申立は六月三十日で僅か二ヶ月の間に著しい価格の変動があるべき経済的事情も認められないのでこの点も再調停を相当とする理由にならない。

(家事審判官 太田英雄)

(別紙物件目録および調停調書 省略)

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